はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

沖縄の美しい海の見え方

f:id:hachim:20170821230443j:plain

この夏は沖縄を訪問した。いつもどおりマニアックなドボク旅が基軸であることには違いないのだが、少々思うところがあって、最後の訪問先は沖縄戦最後の激戦地である摩文仁(まぶに)の丘にある「沖縄平和記念公園」とした。

ある程度覚悟を決めた上で資料館の展示にどっぷり向き合った結果、展示室を抜けた先に広がるオーシャンビューは印象が全く異なるものになっていた。当時の方々が眺めていた風景の構成自体は、現在と大きく変わらないはず。しかし、想像を絶する激しい戦時下において、どのように見えていたのだろうか。

受け止めきれない感情の起伏を感じながら、広大な駐車場に止めたレンタカーに向かって歩いていると、ポツリポツリと雨が降ってきた。まだ余裕あるよねえと思いつつも足早に歩いて車に乗り込み、ドアを閉めた3秒後に土砂降りになった。このような南国のスコールは、戦没者の方々の多くも体験されていたんだろうなあ。わけもわからず、なんとなく腑に落ちた気になり、雨が止む前に車を発進させた。

赤いリフト橋

f:id:hachim:20170818105657j:plain

筑後川昇開橋は、1935(昭和10)年に佐賀県と福岡県の境界をなす筑後川に架けられた可動橋。1987(昭和62)年に鉄道橋としての役割を終えて、すったもんだの後に1996(平成8)年にようやく遊歩道としての人生を歩み始めたとのことである。当初の役割はすでに持っていないけど、今でもちゃんと桁を稼働させて地域のシンボルとしての価値を獲得しているのが素晴らしい。

タワーの高さはおよそ30mもあるが、当時よく使われていた帆船に対応するものだという。細かい部材をリベットで丁寧に接合したディテールも、たいへんすてき。それが動いちゃうんだから、大興奮だよね。鉄道橋のままだと直近からはなかなか鑑賞できないので、歩道橋として堪能できることがありがたいな。

これまでも数多くの可動橋を見てきたけど、それらと比べても筑後川昇開橋はとても親近感が湧く橋だと思った。ついでに可動橋の過去記事を少しピックアップしてみよう。と思って検索してみたら、たくさんありすぎてびっくりした。この橋への親近感以前に、よほど動く橋が好きなんだな、自分は。

 

 

断面に見える斜面

f:id:hachim:20170816125312j:plain

勝浦港の防波堤から見た漁協施設と集落、その背後にある崖地。2つの尾根の間に住宅があることも、チラリと確認できる。まるでポリゴンフレームのような法枠工の急斜面は、山を垂直にザクッとカットした断面のようにも見え、なにかを説明するためのジオラマ模型のように感じた。

短絡的に、平地を生み出すために山を切り崩してその土砂で手前の埋立地を形成する開発を経済成長期に行ったのかと思ったが、どうもそうではないようだ。1947年に米軍が撮影した写真によると、その時点で集落が形成されていて、メインエリアの埋立も完了していたことがわかる。さらにgoogleストリートビューによると、2015年時点ではモルタル吹き付けの斜面だったことが確認できる。単純に、もともと海食崖である「急傾斜地崩壊危険箇所」の表面を、ごく最近になってあらためてしっかり保護しているんだろうね。

安全のために急斜面を手当てしていても、逆方向の印象である痛々しさが際立っちゃってるよなあ。