はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

グランプリファイナル会場

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まさに現在トリノで行われているフィギュアスケートのグランプリファイナルをテレビでチラ見して、この会場に行ったことがある気がした。確認してみると、たしかに2011年に訪れていた。たまたま脇の道を通った際に、シェル構造の屋根と赤い壁面が印象的だったので、ドキドキしながら中に潜入したことを思い出した。内部にはスケートリンクがあって、もしかして荒川静香が優勝した会場では?と思ったところで観察を終わらせていたことも思い出した。おそらく、外観と内観の印象が全くつながらなかったので、忘れてしまったのだろう。その前後に見たいろいろのインパクトが強すぎたせいもあるだろう。

いまさらながら調べてみると、アンニーバレ・リゴッティ(Annibale Rigotti)という人によって設計された、名前は「パラベラ・トリノ(PalaVela Torino)」という施設のようだ。なんと1961年にオープンしたという。そんなに古い印象は受けなかったので、改修が重ねられているのだろうね。後日もう少し調べてみよう。とりあえずはプーさんの乱舞を鑑賞しようかね。

 

【追記】パラベラはもともと、1961年に開催された「イタリア統一百年記念・トリノ国際労働博覧会」という国際博覧会(特別博)のためにつくられ、2006年のトリノオリンピックの際に大幅な改修がなされたようだ。当初の写真を見ると、開口部がガラスのファサードになっていて、ずいぶん印象が異なる。用途を大きく変えながら構築物を使い続ける姿勢は欧州のいろんなところで見かけたけど、トリノには特に多い印象があるな。

 

廃川を見上げる

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豪快に鉄道を跨いでいる盛土が河川の堤防だったなんて、ちょっと信じがたいよね。

草津は江戸時代から東海道と中山道が合流する宿場町。その発展を支えた川が草津川なわけだが、どうやら尋常ではない量の土砂も供給されていたようだ。河床が上がると水害が発生しやすくなるので、必然的に堤防を高くせざるを得ない。それを繰り返していくうちに、想像を超えるスケールの天井川に成長してきたわけだ。しかし、見ての通りあまりにも災害リスクが高い。ついに、別の場所を掘り下げて河川自体を新調することになり、巨大な廃川が誕生したわけだ。このように何重にもおかしなことになっているので、現地を見ても動揺しっぱなしだった。まあ詳しくはデイリーポータルZの萩原さんの記事を参照していただきたい。

この鉄道を跨ぐ区間は、川だった当時が残されているのだが、写真右側の上流部からは、「de愛ひろば」と名付けられた帯状の公園として利活用されている。これがまた超絶面白い異空間だったので、近いうちに書き留めておこう。

至高の視点場

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昨年の3月、大手町と神田の間に「竜閑さくら橋」という歩道橋が架けられた。昭和につくられた首都高の間を抜けて、大正につくられた鉄道橋に近接しつつ、江戸につくられた日本橋川を跨ぐという、超絶複雑な都市環境を明快にクリアしていることは本当にすごい。そんな架橋位置だからこそ、東京というスーパーメガシティのレイヤーを、あらためて体感できる視点場になっている。

上流側は首都高の都心環状線と八重洲線が上下左右にダイナミックに分岐しているし、下流側は阿部美樹志が手がけた外濠アーチ橋を行き交う各種路線を一気に見ることができる。道路マニアも橋梁マニアも鉄道マニアも都市マニアも存分に満足できるのではないかな。あ、NTTのビルも近接しているので、通信塔マニアもいけるかもね。