はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

自慢の建物

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仕事を絡めた一週間の壮大な周遊旅行を、愛媛の松山を起点として予定していたのだが、台風10号の影響で大幅に計画変更せざるを得なくなった。飛行機のチケットは変更不可だったし、あれこれ再検討する心のゆとりもなかったため、同じ都市に約一週間も滞在するという、国内では経験したことがない旅になった。これが想像を超える良い体験となり、すっかり松山と愛媛とみきゃんの大ファンになった。

台風が過ぎ去った翌々日、1日だけレンタカーを借りて今治方面にドライブをした。学生の頃に一部のみ行ったことがあるしまなみ海道と、丹下健三が手掛けた今治市庁舎・市民会館・公会堂を見るために。素晴らしい橋梁群を見て回ったことでテンションが爆上がりしてしまい、今治市役所に到着したのは夕方になってしまった。

勢いで市役所の駐車場に入ったところ、訪問先でスタンプを押してもらうようにと用紙を差し出された。さてどうしたもんかと悩んだ末に、総合案内の方に建物を見に来たと正直に伝えたら、「どうぞ心ゆくまでたっぷり見て行ってください。はいはい、スタンプ押しますよ」という、にこやかでオープンな対応をしてくださった。

閉庁までに急いで見て回ろうとウロウロしていたら、妙に迫力のある風貌のご老人に「建物の写真を撮っているのか?」と声をかけられた。少々ビビったが、会話を始めてみると個人の思い出を絡めながら建築案内をしてくださった。やがて市民会館の通用口のようなところに連れて行かれ、こちらが躊躇していたら「オレは市民なんだから客は遠慮するな」と意味不明の優しさでディテールまで説明してくれた。

その様子を職員の方がチラチラ見ていたので、ご老人との会話が公会堂に移るまでの合間にささっと事情を伝えた。するとご老人と別れたタイミングで歩み寄ってきて、「ついでに公会堂の中をご覧になりませんか?いまコロナの影響で使ってないので」と言ってくださり、鍵を開けてくださった。ありがたく見学させていただき、いろいろなお話を伺うことができた。平山郁夫が描いたという緞帳を見ると、その日の朝に訪れた展望台からの眺めだった。そこのとを伝えると、本当に嬉しそうにしてくださった。

わずかな時間にわずかな人と会話しただけではあるが、この丹下建築は街の自慢なんだなあと感じた。地元に愛されている近代建築って幸せだろうなあと、しみじみ思った。さらに、ご当地自慢を堪能してくれという気質は、愛媛県人のキャラクターにも起因するのかもと感じた。これってどこかで味わった気がするなぁと思いを巡らせてみると、イタリアでの体験に似ていることがわかった。つまり、瀬戸内海は地中海につながっているんだな、きっと。

 

自然現象と人間活動の交錯点

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東日本大震災の発災翌日である2011年3月12日の朝、長野県北部地震によって写真右上の斜面が崩壊し、大量の土砂が積雪を巻き込みながら、写真左側にある国道353号を飲み込んだ。その緊急対策としてつくられたのが、鋼製セル工法による主堤体を有するこのトヤ沢砂防堰堤だ。

不安定土塊を抱える谷を早急に手当てしなければならない状況の中、厚い軟弱層に対応しながら、工期を短縮でき、現地発生材を有効利用できる工法が選定されたという。円形に並ぶよう地中深くに打ち込まれた表面処理をしていない鋼矢板はに、自然なさびが生じている。

この巨大で生々しい姿の砂防堰堤は、あたかも強靱なメッセージを発している造形物のよう。この地域で20年も継続されている国際アートプロジェクト「大地の芸術祭」の関係者の目に止まることは必然だったろうね。2015年および2018年の「越後妻有トリエンナーレ」において、土石流の範囲を黄色いポールによって可視化する『土石流のモニュメント』として「作品化」された。

その制作過程には、ポールの塗装や設置のほか、周囲の草刈りや駐車場の誘導を含めて、当該地区の住民の方々が積極的に参加したという。そのプロセスを経て、防災施設である砂防堰堤が地域のシンボルとなった。地元の方々が防災施設を表現の場として能動的につくり上げる雰囲気が醸成されたことは、「人間は自然に内包される」ことを掲げるアートプロジェクトが地域に根ざしていることの、なによりの証だろうね。

2014年に偶然通りがかったときに撮った写真とほぼ同じ場所から眺めてみた。崩壊した山腹は、一部の急傾斜地を除いて植生が回復してきたように見える。土砂で埋まった農地も元通りになっているようだし。そうした土木的スケールでの時間変化を感じてみると、より作品的だよねえ。

今年の夏

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なぜか、8月が終わりかけている。毎日たっぷり暑さを感じてはいるものの、夏の実感はまるでない。しばらく休日らしい休日を過ごしていないことも大きな要因だろうが、ほとんど外に出ない生活によって、インプットとアウトプットのバランスがくずれていることが効いている気がする。

3月終盤から基本的に自宅にこもって、ひたすらリモートワークを続けている。4月頃は快適なリモートワークを目指して前向きに作業環境を整備し、5月頃は寝ても覚めても仕事を続けたことで時間や空間の概念が溶けてなくなる感覚を味わい、6月頃は自宅の机に向かってのアウトプットが比較的安定し、7月頃にはその質や量が急速にスローダウンした。そしてふと顔を上げたら、8月が終わろうとしている。

自分の写真を時系列に並べてみると、約5ヶ月間というかつてない空白の期間がある。つまり、風景を観ることも記録することも体験することない時期があるのだ。その間、ひたすら引きこもって一部に偏ったアウトプットを続けていたのだから、そりゃ調子もおかしくなるよな。このため、来月は無理やりインプットの機会をつくることを決断した。もちろん、感染対策を十分に行いながら。

上の写真は、久しぶりに県境を跨いで行った新潟県十日町の鋼製セルによる砂防堰堤。2014年に偶然通りかかった場所を、あらためて訪問した。とてつもなく暑く、異常な量の発汗をしたのだが、いろいろスッキリした。