はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

配達が切り拓く世界

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スイスアルプスの峠を越える送電線の写真を、あれこれ編集してみた。「デス・ストランディング」というゲームの感動的で示唆的な仮想世界を、少しでも自分の実体験に近づけようとして。この送電線を見たときにも、隔てられた世界が「つながっている」ことに衝撃を受けたもんなあ。

このゲームをざっくり説明すると、天変地異や争いで分断された人々やコミュニティーを、ややこしい事情を背負っている「伝説の配達人」が、無茶なお使いを繰り返すことによって結び直すというものだ。言葉にしてみても、何のことだかさっぱりわからないな。でも、そのシナリオは、あまりにも重厚。7月末にはじめたのだが、最近になってようやくメインシナリオを終えた。今もその感動を噛みしめつつ、これまでつくった道路や橋梁や索道などの輸送インフラの維持管理を粛々と続けている。

怪物や亡霊や悪者などと戦ういかにもゲームらしいアクション要素もあるのだが、そこが本筋ではない。あくまでも、「物流」に関するさまざまなミッションの実現が重要。それらを通じて、生と死、肉体と魂、時間と空間、国家と個人といった、根源的で現実的な問いが重層的に突きつけられる仕掛けになっているのだ。それは基本的に謎だらけなのだが、あまりにも魅力的でバランスに優れた演出と、尋常ではなく作り込まれてた世界設定が、シナリオをがっちり支えている。そこから浮かび上がってくるリアリティは、まるで現実を凌駕しているような気分になる。

はじめてしばらくの間は、なにが起こっているのか全くわからず、オロオロしながら進行していった。日々の忙しさにかまけて、途中で話の筋を見失うことも多々あったし。でも、緻密で濃密なゲームは常に魅力的。進めていくうちに、目の前の世界が少しずつわかってくる。それは、知識による理解ではなく、体験による理解。そう言えば人の成長ってこんな感じだし、現実世界に直結する仕組みだし、人それぞれには固有の事情があるし、なんてことを思いつつ。

超絶長いエンディングは、感動のあまり涙を流しながらプレイしたな。あちこちでこの感動を伝えようとしているのだが、言語化できずに困っている。とにかくここ半年くらいで、現在のゲームってのはいろいろ凄まじいことがわかってきたので、今後もチェックが不可欠だね。

 

 

上昇と下降

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僕は子どもの頃にエッシャーの絵にのめり込んでいた。おそらくエッシャー展に連れて行ってもらったのだろう、リトグラフのポストカードを何枚か手に入れ、額に入れて自室にずっと飾っていた。ありがたいことに実家で保管してくれていたその額を、数年前に受け取った。

それを久しぶりに眺めているのだが、エッシャーのエッセンスが自分の中にがっちり根ざしていることを感じている。ゴージャス避難階段が気になってしょうがないところあたり、間違いなかろう。もしかすると、エッシャーの出身地であるオランダが好きなところも、エッシャーの父親の職業である土木が好きなところも、なにか通底しているのかもな。

上の写真は、たまたま松山で見たデパートの避難階段。壁に落ちた影も含めて、とてもクラクラする素敵さだった。たいへん悔しいことに、地上から鑑賞できる場所を見つけることはできなかった。

山頂の地下空間

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今治公会堂の緞帳に描かれている総延長が4kmを越える3連吊橋の来島海峡大橋は、亀老山展望台から眺めたものだ。この眺望も素晴らしいが、展望台自体もすごかった。隈研吾による設計で、1994年につくられたという。来島海峡大橋の完成が1999年だから、ここからも工事の様子が観察できたんだね。

一般的な展望台は地形や樹木などの影響を避けるために、できるだけ地面よりも高くなるように設定されている。そのために外部から眺めると、目立つ構築物になりやすい。ところがこの展望台は、外側からの存在感が極めて低い。なんと、平らにカットされて公園として利用されていたいた山頂を、元の姿を目指して覆土しつつ、そこに展望台への動線を埋め込んだという。この動線がまた秀逸。地下と空中を行き来しながら、さまざまな方向への眺望が得られるという、たいへん面白いシークエンス体験が得られる。

豊かな眺望体験を楽しんだ後は、駐車場付近にある昭和感満載の土産物店で勧められるままに「藻塩アイス」を食べた。これが汗をかいたあとにぴったり。今治タオルの仕入れが充実しているこの店のご主人にも、いろんな話を伺うことができた。