はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

可視化された物流

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インド洋と地中海を結ぶスエズ運河で大型のコンテナ船が座礁した事故は、発生から6日後にようやく航行再開に至った。懸命に続けられた離礁作業はもちろん、喜望峰ルートに舵を切った場合のコストなどのニュースをドキドキしながら見守っていた。船舶の航行データやコンテナ船の巨大さといった情報が、どんどん可視化されていったことが、よりハラハラ感を生み出しているように感じた。そして、太陽と地球と月の直線的関係がもたらす「スーパームーン」が潮位を引き上げたことが最後の一押しになったという、なんとも胸熱な展開だった。

今回はなんと言っても、現在の世界経済の明暗は海上物流にかかっており、それは、コンテナという規格と、スエズ運河とパナマ運河という大洋を結びつける巨大人工物に依存している事実を突きつけられた。さらに、損害保険の発祥は古代文明における海上保険であることや、近代保険の発祥もエドワード・ロイドが営むロンドンのコーヒー店における最新海事情報のやりとりだったという話を思い出した。

もちろん世界の物流が正常化するには、まだまだ時間がかかるだろう。思いのほか物流のリダンダンシーって高くはないのかもなあと、個々人が世界の海事についてもう少し意識しておかないと、不用意に慌てることになる。今回のような事故だけでなく、災害や紛争なども実際に起きているのだから。

林檎教への入信

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現在僕は、Apple社の製品およびサービスを全面的に受け入れる体勢、つまり、アップル信者になる準備を進めている。

僕のMac歴はそこそこ長く、1990年代前半から使うようになり、有名なボンダイブルーのiMacは1998年の発売初日に入手した。仕事の都合でWindowsに染まった時期もあったが、2009年にいきなり全面的にMacへ移行して、ほぼ同時期にiPhone 3Gも導入した。あ、そう言えばすでに2004年にはiPodを使い始めていたな。

あらためて過去の経緯を調べてみると、ずいぶん前からApple社製品を好んで使っていたことになる。それはユーザーインターフェースの良さやプロダクトデザインの質が他社製品とはまるで違うレベルだと感じていたからなんだと思う。まあもともとアップルファンだったわけだね。

そんな僕がなんでいまさらアップル信者になろうとしているのかというと、コロナ由来のストレスにすっかりやられてしまったからだ。各種の仕事や日常の生活におけるちょっとしたストレスを軽減するためには、根本的な苦手意識を抱いているデジタル環境への意識を変えて、前向きに受け入れるように努めたほうがいいのではないかと考えてみた。そのためには、ユーザー体験に優れた連携サービスに身を委ねることが自然なわけで、僕にとってはApple社の戦略に囲い込まれることがベストだと判断したのだ。

そこでまず「カッコいい」と思ったiPad Air4を導入してみると、ようやくパソコンとスマホの狭間にある価値に気がついた。これまでにも何度かiPadに挑戦してきたのだが、連携への信頼が不十分だったようだ。次に AirPod Proを導入してみると、強力なノイズキャンセル機能によってパーソナルスペースの意識が大きく変わることにたじろぎつつも、各種デバイスへのスムーズな接続に驚嘆した。そして不要だと思い続けていたApple Watchにも手を出してみたところ、全てのアップル製品が有機的にリンクし始めてデバイス間の隙間がなくなり、生活そのものが変化するという感覚を抱くに至った。

ここまでくれば、信者まであと一歩だろう。つまり、iPhoneとMacBookの更新だ。すでにお布施の準備はできている。

キノコ岩橋

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構造エンジニアのユルグ・コンツェットが携わったアルプス山中のトレッキングコース「Trutg dil Flem」には、同氏が設計した歩道橋が7つ架かっている。そのうちのひとつに、ものすごく深く狭い箇所を跨ぐ橋がある。英語名は「Mushroom Rock Bridge」であり、その名の通り、渓流の上に迫り出した岩の上にある。この橋を渡るときは、その狭さからヒヤヒヤしながら足下を見ざるを得ないので、激流と奇岩を直上から目撃することになる。

コンツェットが描いた手書きスケッチ的な図面を見ると、コンクリートの床版は厚さ120mm、長さが4.6m。定着部の長さが両側400mmずつになっているので、支間長は3.8mということなるのかな。階段も含めた床版部分の幅はわずか500mmで、縦桟のステンレス高欄の根元が両側に100mmずつ広げられ、ようやく700mmの幅員が確保されている。

個人的にはそのミニマルなフォルムや質感から、やけに人工的かつ現代的な印象を抱いた。そのことをご本人へのインタビュー時に伝え、豊かな自然環境の中でなぜこのような解き方をしたのかを伺ったところ、ものすごくストレートに、渡るときに真下のすばらしい様相を見てもらいたかった、とのこと。つまり僕は、ものすごく素直に彼の術中にはまっていたわけだ。

高欄がやたらと橋軸方向に揺れたのだが、それについては聞きそびれた。もしかすると、それもスリルを生み出す仕掛けだったのかな。