はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

滑り込みアウト

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先週末は出張で仙台に行ってきた。少し無理をすれば日帰りできたのだが、どうしてものんびりとまち歩きをしたいという欲求が抑えられず、宿泊を選択をした。それが大アタリで、活きのいいネタをたくさん仕込むことができた。若干の悔しさを伴って。

たとえば上の写真。外壁が漆黒にペイントされた雑居ビルの側面だ。パイプなども同色に塗られていることで、塗装されていない室外機の存在が極限まで際立ち、まるで宙に浮いているかのような様相を呈している。こんな面白い様相は、なかなかお目にかかれない。

実は、来る12月11日に『日常の絶景 知ってる街の、知らない見方』という本を出版する予定である。都市の内外に埋め込まれている15の断片について、写真と妄想を交えて読み解き、都市風景の見方の拡張しようという主旨の、少々おかしな本だ。

その本の中に「室外機」や「パイプ・ダクト」の項がある。そこにこの事例を掲載したいという気持ちが高まってしまった。ところが、今回の出張とほぼ同じタイミングで印刷所に原稿が届けられたので、差し替えはギリギリ間に合わなかったのだ。もう少し早く発見できていればなあ…。まあ、今後もそんな後悔にも似た体験が頻発するのだろうな。

ともかく、無事に刷り上がって販売が開始されることを祈るのみ。ご興味がある方は、ぜひぜひご予約をお願いします。そうすれば、本書の存在をうっかり忘れてしまっても自動的に配送されるので、サプライズ感も味わえるよ。

 

内湾の防潮堤

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三陸海岸の沿岸漁業から世界の海に出る遠洋漁業を網羅するレンジの広い漁業基地として、さらには水産加工業や造船業でも栄えてきた気仙沼。その発展の起点は、気仙沼湾のさらに奥にある入り江を取り巻く内湾地区と言われている。この場所が海と人を結びつける経済活動の拠点となってきたことは、穏やかな海面を見渡しながら地形の変化を感じて歩いてみると、しみじみと感じられる。それは繊細な山襞が複雑に海に入り込むリアス海岸ならではの体験だ。

その内湾地区も、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた。それをきっかけに、今後の災害を低減すべく、防潮堤や土地のかさ上げが行なわれている。しかし水際線をよく見ると、連続していて当然の防潮堤が不連続に見える。上の写真で言うと、奥側はコンクリートの直立壁だが、左側は盛土があってその上に建築物がある。手前側に至っては、防潮堤が見当たらない。少なくとも3つのパターンがひとつの入り江に出現している。

これは、住民の方々が防潮堤について学び、行政や専門家とともに議論をしながら、その場所の特性に合わせて防潮堤のありようをカスタマイズしていった結果だという。大急ぎで国や県が示した統一的な防潮提案では、「海と生きる」ことを選択してきた地域のアイデンティティが失われるのではないかという危機感から導き出された、さまざまな創意工夫の積み重ねだ。風景を一見しただけではわからないが、ある程度知識を仕入れた上でこのエリアを歩いてみると、いろんな人の思いを想像することができる。

特筆すべきは、写真左側のエリアだ。4つの商業観光施設「迎(ムカエル)」「創(ウマレル)」「結(ユワエル)」「拓(ヒラケル)」からなる「ないわん」が整備され、地域の新たな拠点として、すでに人材の交流や観光行動が活性化している。特に「迎」「創」は、防潮堤と一体になっていて、海への「壁」を文字通り乗り越えようとする地域の意志が強く伝わってくる。今後どのような展開になっていくのか、ときどき眺めていきたい。

自然と人為の境界

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気仙沼市の本吉地区を流れる沖ノ田川の河口部。2019年にはじめて訪問して衝撃を受けたが、その時はまだ工事中だったため、冷たい小雨が降る中で、あらためて見に行ってきた。

高さ約10mの堤防は、コンクリートでがっちり構築されている。もちろん川を遡上する津波から守るべきものを守るためだが、そこにある水の流れは生物の生息や人々のレクリエーションをきっぱり拒絶している。これは川と呼んでもいいものか、疑問に思わざるを得ない。

その一方で、背徳感とともに、かっこよさを感じる。自然の超絶な力に対して必死に抗う人為の眺めには、ある種の潔さや力強さが宿るのかもしれない。そう思いつつも、この姿は多くの人に望まれるものではないだろう。人間にとって、なんとも悩ましい風景だ。