はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

アーチで補剛

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2014年に竣工した広島の太田川大橋は、僕の中にある単弦アーチ橋のスタンダードなイメージからかっこいい方向にシフトしているので、ずっと気になっていた。それは、わずかに低く見えるアーチライズ、透過性があって軽快な印象のアーチリブ、下部工と一体になったアーチ基部あたりに起因していると思う。その姿を先月、ようやく目視確認することができた。

写真で見ていた印象どおり、2連のアーチリブはシャープでかっこいい。このアーチリブはコンクリートが充填されたボックス構造の弦材を逆台形断面になるように上下に配置し、それを角形鋼管のブレースでつないでいる。強弱があるその部材構成は、力強いフォルムの中に軽快なリズムをもたらしている。明確な陰影の出方は面の向きによって異なるので、おそらく光環境の変化に伴って表情も豊かに変わるだろうね。大きなカーブを描く平面線形も、歩道からのアーチの見え方を楽しいものにしている。

この橋は一般的なアーチ橋ではなく、PC箱桁のラーメン橋をアーチで主桁を補剛するという、少々トリッキーな構造形式だ。その上、支点部を貫通するPCケーブルは高い位置とするフィンバック構造にもなっているらしい。なお、道路は河川に直交していないので、橋脚には若干のスキュー角が生じている。そんな複雑なこをとやっているのに、アーチの定着部が桁と橋脚にがっちり剛結されている支点部の造形はとても整っている。さすがに橋脚と桁との取り合いの造形は複雑なことになっていて涙ぐましいけれど、しっかりおさまっている。個人的には、アーチ天端を伝ってくる雨水の処理だけが残念ポイントかな。

そこら辺の絶景

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新型コロナウイルスの影響で引きこもっている週末、なんとなく気持ちが前向きにならない。何冊も持ち帰った書籍を読もうとしても、数ページで集中力が切れてしまい、前に進めない。映画を鑑賞しようかと思ったが、そもそも選ぶ段階で挫折してしまった。こんな時にはYouTubeの「ゲームさんぽ」という教養番組?をダラダラ観るのが最適であることを少し前に学んだが、すでに概ね鑑賞し終えてしまった。今年に入ってから毎日のように観ているアニメ「映像研には手を出すな!」の録画は、もう少し集中力が戻ってから気持ちを整えて鑑賞したい。

そんな流れで、やっぱりいつものように、過去に自分が撮った写真をダラダラ眺めている。特に整理整頓するわけでもなく、自分がここ数年で興味を向けているものはなんなのかなあと、ぼんやりと考えながら。もちろん被写体として圧倒的に多いのは、調査や取材の対象として取り上げたものや、旅行の際に事前に調べてから訪問した鑑賞対象だ。それらには、おそらく外部の情報から興味を持ったのだろうし、このブログにも頻繁に書き散らかしている。そこそこ有名だし、そこそこ参考にできる記述もどこかにあるしね。つまり、見方の方法や手がかりはすでに存在しているものだ。

そのような対象にまぎれてチラホラ散見されるのが、なんというか、取るに足らない対象物や風景の写真。たいていは自分の中でなにかモヤモヤした感情を抱き、とりあえず撮って残してみたというものだ。なにかを観に行ったときは、自分のアンテナ感度が高まっているので、ついつい撮っちゃうもんね。もちろんそこには、「巧まざる造形」「室外機コレクション」「パーキングスケープ」「ゴージャス避難階段」「ラッピング名所」など、すでに個人的な収集テーマとしているものも含まれる。

で、これらは結構重要だよなあと、いまさら意識したわけだ。見方によっては絶景になり得るし、その眺めの読み方はまだ一般的ではない可能性があるので。ということで、取るに足らない眺めの見方に対する読み解き方を示すために、「そこら辺の絶景」を意識的に拾い上げていきたい。という自分に対する意志表明をメモとしてここに残しておく。

以下、現時点でなんとなくピックアップしておきたい絶景に関する、個人的な走り書き。作家性が感じられないもの、つまり、美の実現を目論んでいないであろうもの。その眺めが生まれた背景が見え隠れするもの。過去の価値感を引きずり、少々ズレた環境や材料でそれを表現したもの。スケールが異なる時間や空間が衝突する際に生じたもの。など。 

時代をつくった橋

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世界中の国がその往来を閉ざしているいま、ほんの3ヶ月前にイギリスに行ったことが、はるか昔の夢のように思えてくる。でも確かにブルネルの偉業を見てきたんだよな。

そのブルネルを含むイギリスの土木技術者は基本的に経験主義的な解き方をしており、そのことをエッフェルは否定的に見ていたようだ。そして、理論と計算から構造物を軽く、安く、強く、信頼できるものにしていったという。その象徴が、パリのエッフェル塔が完成する5年前の1884年に架けられた、現役鉄道橋のガラビ橋だね。

軽量なトラス桁を支持する三日月型アーチの基部にヒンジを用いることで経済性を高め、風荷重に抵抗する裾広がりの三次元的な造形になっている。強弱のある錬鉄の部材で全体が構成されており、見事な工芸品のような繊細さを併せ持つ、装飾に依らない新たな構造形態が実現した。

いや、なんでこんな話をし始めたかというと、つい先日送った文章を書くために、あらためてビリントンの「塔と橋 構造芸術の誕生」を読んだので。やっぱりこの本、すごくいいな。一般書では全くないけれど、産業革命以降の技術史の読み物として楽しめるよ。

塔と橋―構造芸術の誕生

塔と橋―構造芸術の誕生