はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

抽象画の意図

コロナ禍の影響で、自分自身のインプットとアウトプットのバランスが大きく崩れたことは自覚している。昨年末に『日常の絶景』を出版できたこと自体は、大きなアウトプットとして大いに意味があったと思うのだが、インプットの量が圧倒的に少なくなっていたために、自分の中のエネルギーが枯渇してしまった印象がある。それでも社会活動としてのアウトプットは続けなければならないため、今はギリギリどうにかこうにかやりくりしている気分だ。適切な対応策としては、インプットの量と質を高めるということになるのだろうが、なかなか重い腰が上がらず、グズグズしている状態が続いてしまっている。

そんな中、ふとしたきっかけで、このところまともに美術館に行っていないことに気がついた。外的刺激を受けるために、とても有意義な場所ではないかと、あらためて気がついた。時間をやりくりして、積極的に行こうと思った次第。なにがいいかなあと妄想すると、がぜん抽象絵画を鑑賞したくなってきた。モンドリアン、カンディンスキー、クレー、ロスコなどなど、わけがわからないけどやたらと力が宿っている作品に向き合いたくなってきた。

思い返すと、欧州に滞在していた10年ほど前の1年間は、コストの低さから頻繁に美術館に行っていた。特に抽象絵画はもともと好きだったので、浴びるように体験したことを思い出す。あれはかなり貴重な体験になっていたんだなあと、あらためて認識した。とは言え、作品の背景をしっかり勉強してはいないので、あくまでも雰囲気を受け取ることに終始していたわけだが。

上の写真は、落書きとの格闘の末に生み出された壁画。詠み人知らずの抽象絵画。まずはこのあたりを鑑賞することで、リハビリを行っていくとするか。なんだか大きく間違っているような気がしなくもないが。