はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

役割と意味の転換

数年前に韓国の観光地で見かけた歩道橋。なんだか違和感が色濃く漂っている。よく見ると、主塔やケーブルが全くの飾り物。おそらく、こういうことだったんだろう。
「ここの歩道橋は絵葉書になるような橋にしたいなぁ」「だったら、吊橋だよ」「でも、わざわざ吊橋にする規模でもないし、コストも抑えたいんだよね」「じゃぁ、ダミーで主塔とケーブルをつけておけばいいんでないかい」「あ、それ、いいね」
つまり、主塔やケーブルは構造的な役割を果たさなくても、その意味は記号化されて成立してしまうのだ。いや、かっこわるいから成立していないか。