
地域の関係者の方にはまことに申し訳ないが、僕は栃木県真岡市という街のことを全く知らなかった。読み方が「もーか」ということはうっすら知っていたのだが、タイピングする際に「もうか」と入力して変換されずに焦るほどには知識がなかった。なお、正解は「もおか」ね。
そんな街に用事があると妻が言った。千葉の自宅から公共交通機関で行く手段を調べたら、何やら絶望感に包まれたとのことで、車で一緒に行くことにした。僕としては最近ゲットした新しいカメラを使う機会になるってことで。そして、地域情報を事前にまったく仕入れることなく、現地に向かった。
目的地に到着して妻と別れ、僕はまち歩きを開始。そこは公共機関が集約されているエリアだった。おそらく近傍には旧市街があるのだろうと、Googleマップを眺めて道路がごちゃついている川の対岸のエリアへ向かった。この行動はいつものこと。
できるだけ細い道をぶらぶら歩いていくと、やがて立派な塀が出現した。その先の門には通り抜けができるとの記載があったので遠慮なく入ってみると、時間を持て余していた様子のおじさんから声をかけられた。県の文化財に指定されている「岡部記念館 金鈴荘」のガイドとのことなので、余談を中心にたっぷりお話を伺った。その中で、農家の副業として取り入れられた「木綿」が重要な地場産業だったことを知った。感心して聞いていると、隣接する「真岡木綿会館」に行くことを勧められた。
素直にそこに行って土産物としての木綿製品をまじまじと眺めていると、製造工程の見学をしていかないかとお声がけいただいた。なんとここは、糸紡ぎ、染め、織りなどを手作業で行う工房だったのだ。そりゃいろいろ見たいよねということで、実演とともにたっぷりお話を伺った。リアリティを伴っていろいろ教えていただいたなかでも、あらゆる工程で要求される繊細さと根気強さにビビりまくり、その先にあるクリエイティビティーに感激し、一時期は廃れてしまった技術を復活させて残していく過程に涙した。妻を連れてまた来ますと宣言して、いったん撤収。
時計を見ると、まち歩きの時間は40分ほどしか残されていない。そこで、SLをモチーフにしているとの噂を聞いた真岡鐵道の真岡駅を目指して、早足で歩くことに。その途中で撮った写真が上のもの。思ってたよりも5倍くらい大きく、開き直ったポストモダン感に満ち溢れている。このヤバみは妻と共有しなきゃと、いったん撤収。
大急ぎで車に戻って妻と合流し、真岡木綿会館を再訪して木綿製品を大人買いし、真岡駅および隣接する「SLキューロク館」にて鉄分をたっぷり吸収した。ここはなんと蒸気機関車をはじめとする鉄道車両がたくさん展示されており、なかなか楽しめるのだ。ついでに駅周辺を散策していると、現役で走らせているらしい蒸気機関車のメンテナンス作業を行っていたらしく、あたりが黒煙で満たされた。この煙害体験には参った。欧州のターミナル駅の駅舎がものすごく高く大きな屋根で覆われている理由が体感できたし、現代日本の空気がいかにクリーンになったのかと思い知らされた。
そんなこんなで、まったく無計画な訪問だったにもかかわらず、濃密な旅の体験ができた。知識ゼロの状態で訪れても、運がよければものすごく充実するんだね。ほんと、真岡という街は楽しかったな。思っていたよりも遠かったけど。
そうそう、真岡の随所で二宮尊徳(金次郎)推しが感じられたので気になって調べてみたら、氏が唱えた「報徳仕法」が実際に行われ、成功したゆかりの地とのこと。そう言えば、二宮尊徳って何者かよく知らないと思って、あらためてchatGPTと何度かやりとりしていくうちに、面白い見解を得た。知らんけど、というスタンスで以下に概要を残しておく。
・二宮尊徳は幕府の役人(御普請役勘定並)として、農村復興の実務者・思想家として幅広く活動した
・明治政府は近代国家建設を進めるための道徳の模範として、「勤勉な臣民像」にぴったりの二宮尊徳をピックアップ
・明治末期から昭和初期にかけて全国に設置された薪を背負って本を読む金次郎像は、「努力すれば報われる」という国家的メッセージを伝える視覚的なイメージ戦略
・戦時体制下で戦争協力の倫理として再評価され、戦後も「努力・勤勉」の象徴として残存
・二宮尊徳は「努力・勤労・倹約・奉公」の象徴として、現実の彼の全体像というよりも、時代ごとの価値観に合わせて“編集された偉人像”として利用された側面が大きい