はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

ポツダムの塔

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昨日は終戦記念日もしくは終戦の日だったので、なんとなく気になって、その成り立ちについて復習してみた。1945(昭和20)年7月26日に米英中により発せられたポツダム宣言を受諾して降伏したのは、2つの原爆が投下されてソ連から宣戦布告がなされた後の8月14日であり、国民に降伏を知らせる玉音放送が翌15日に行われたこと、さらにポツダム宣言の履行文書への調印と即時発効が9月2日であり、それを終戦記念日としている国が多いことなどを、いまさら学習した。

その最中に、あれ?そういえばポツダムって僕も行ったことあんじゃね?と感じて、急いで過去の写真を捜索したところ、2011年の7月に立ち寄っていたことが判明した。この日は朝9時にベルリン市内でレンタカーを借り、約120km離れたデッサウの「バウハウス」をたっぷり味わい尽くし、そこから約20kmのところにある巨大重機が添えられた露天掘り炭鉱リノベ野外イベント会場である「フェロポリス」に大興奮したことを、よく憶えている。たいへん濃密な一日だったわけだが、同行していた友人からメンデルゾーンの「アインシュタイン塔」ってのが道中にあるから寄り道しようよ、と言われた気がする。え?なにそれ、メンデルスゾーンじゃないの?と言ったかどうかは定かではないが、とにかくポツダムに立ち寄ったことをぼんやり思い出してきた。上の写真の時刻は19時20分頃なので、到着時はすでに朦朧としていたことが想像できる。まあそんな言い訳はさておき、自分の中にしっかり定着できていなかったことは大いに反省したい。

エーリッヒ・メンデルゾーンが設計した「アインシュタイン塔」は、アルベルト・アインシュタインによる一般相対性理論から予測される現象を検証する観測所としてつくられたという。コストの都合でコンクリート造をあきらめて、レンガ造+コンクリート被覆にしたらしい。現地の案内板には1920年から1922年にかけてつくられて1924年から使われはじめたと書かれていたが、ネット情報はいつものようにやや食い違っているので、正確な情報取得はあきらめた。

この彫塑的でえぐみが強い形態を持つ建築物は、ドイツ表現主義の代表作なんだそうな。それがなにかは知識不足ゆえにピンとこないのだが、エネルギーが凝縮されたヤバい解答であることは強く感じられる。全体のフォルムとか、半地下の構成とか、窓周辺のヘコませ方とか、雨樋のつまみ出し方とか、階段の造形とか、なにかとすごいよね。内部に入れなかったのは残念だけど。個人的にはバーゼル郊外の第2ゲーテアヌムの重厚感というか威圧感のほうがはるかに強烈に感じるが、後世に大きな影響を及ぼした建築物であることは間違いなさそうだね。